野球

原辰徳の嫁は元ホステスで略奪婚?父親は反対?母親や妹は?

巨人軍監督の原辰徳さんは2009年に
選手時代の不倫が発覚して騒動に
なったことがありますが。

 

その後も野球人生に大きな傷が
付いていないのは妻の明子さんの
支えがあるという声があります。

 

明子さんの結婚経緯も略奪婚という
情報がありますが、

今回はそのあたりの真相を探って
みました。

 

また、原辰徳さんを育てた父母、
そして妹さんについても併せて
調べてみます。

原辰徳の嫁は明子で元ホステス?

原辰徳さんは1986年に松本明子さん
という6歳年上の女性と結婚
して
います。

 

松本明子さんと言えば同姓同名の
人気タレントもいますが、
原辰徳さんの妻になった方は一般人
です。

 

元ホステスでは、という噂もあるよう
ですが確証はありません。


出典

美人ですしね…。

結婚発表の時の服装もやや派手め
だったことから、そうした噂が
流れたのではないかと
思われます。

原辰徳の結婚を父親は反対?略奪婚?

原辰徳さんは学生時代に明子さんと
知り合い、結婚を誓う仲となりました
が、両家の猛反対で一度破局したそう
です。

 

その時は原辰徳さんはプロ入団直後。

 

また当時はスポーツ選手が年上女性と
結婚する例もあまりなかったことから、

父親でアマチュア指導者の原貢さんも
反対していたという情報があります。

 

その後、明子さんは別の男性との
結婚、離婚を経験

 

2人は再会し、原辰徳さんの
猛アプローチで結婚に至ったよう
ですが。


出典

その過程は略奪婚という
噂もあります。

 

写真誌のフライデーが原辰徳さんの
人生を振り返る連載の中でこうした
記述がありました。

 原の「思い込んだら一途な」愛は、プライベートも同じだった。

6歳年上の明子夫人と知り合ったのは大学時代。ドラフト会議の前から交際がスタートし、プロ1年目のシーズンが終わったオフにプロポーズした。彼女も承諾。しかし、「まだ若い」と、周囲から二人の結婚は認められなかった。タイミングを逸した二人はほどなくして別れ、彼女は別の男性のもとに嫁いでしまう。

しかし、原は諦めなかった。人目を忍んで、逢瀬を重ねた。愛を貫く覚悟を決めた。とはいえ、巨人の歴代のスターで〝略奪婚〟をした者はいない。球団に許されるはずがない。原は実に彼らしい方策を思いついた。当時、親しくしていた夕刊紙記者に相談した。記事を書かせることで、結婚を既成事実化させたのだ。

周囲の反対を押し切って明子夫人と
結ばれるために

原辰徳さんはさまざまな手を尽くした
ようですね。

 

明子夫人は結婚後、表舞台に出ること
はありませんが

選手時代は食事管理、引退後に解説者
となった時は、服のコーディネート
などで夫を懸命に支えていたよう。

 

原辰徳さんは巨人の監督を務めていた
2009年、夫人が長男を出産した
1988年ごろに不倫をしていた
ことが発覚。

騒動となりましたが。

その後の野球人生の足かせになって
いる様子はありません。

 

これは夫の裏切りにも明子夫人が
必死に耐え、支え続けているから
という声もあります。

 

明子夫人にとっても周囲の大反対を
押し切って原辰徳さんと結婚した
という意地もあるのでしょうか。
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原辰徳の父親は?

原辰徳さんの妻についての情報を紹介
しましたが、

原辰徳さんの父母、そして妹さんに
ついても触れてみます。

 

前述しましたが原辰徳さんの父親は
アマチュア球界で名将として
知られた原貢さん。

 

原辰徳さんがプロ野球選手になった
のはもちろん貢さんの影響です。

 

原貢さんは1965年に野球では無名校
だった福岡・三池工高を甲子園に導き、
初出場初優勝を成し遂げました。

 

1966年からは神奈川県の東海大相模高
野球部の監督に就任。

同校を強豪に押し上げると、
1974年には長男の原辰徳さんが入学。

 

甲子園での親子鷹の活躍は大いに話題と
なります。


出典

原辰徳さんが入部する時、原貢さんが
伝えたのは

「お前が6、他の選手が4の力なら
お前は補欠。お前が7の力を蓄えて
初めてどうするか考える」

 

初めは他の部員から原親子は懐疑的に
見られていたようですが、原貢さんの
原辰徳さんへの接し方は本当に厳し
かったようで。

 

5メートルほどの近距離から素手で
硬球ノックを受けさせるなどで、

原辰徳さんは練習中に意識を失って
しまうほどだったとか。

 

部員からは
「監督、お前のオヤジだよな?
考えられないよ」と逆に同情され、

原辰徳さんがレギュラーで起用され
ても、ひがみの声を聞いたことは
一度もなかったそう。

 

原辰徳さんは監督となってから
選手のプライドを刺激するような
「非情采配」が注目されることが
ありますけど。

もしかすると、そうした厳しい部分は
父親の監督ぶりから影響されているの
かも。

 

原貢さんはその後、東海大の野球部
監督などを務め、

現場は1996年に勇退しますが、以降も
東海大系列校の野球部総監督として
存在感を発揮し続けました。

 

2014年に78歳で死去。

没後の2015年には日本高校野球連盟
の育成功労賞を受賞。

その功績を称えられています。
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原辰徳の母親は?

原辰徳さんの母は
勝代さんといいます。

 

原辰徳さんは父・貢さんとの
親子鷹でスター選手へと上り詰め
ましたが

その生活はまるで「巨人の星」の
星飛雄馬と父・一徹の関係
だった
そうで。

 

スポーツリポーター、今井美樹氏が
著した「原辰徳-その素顔-」
(三修社)によると。

 

「巨人の星」では飛雄馬の姉・
明子が、2人の猛特訓を木の影から
涙目で見つめるシーンが有名ですが。

勝代さんはまさしくその
「明子姉ちゃん」のような立場で。

 

「なぜ辰徳を殴るの!
わたしの息子なのに」

「辰徳は俺の選手だ!」

などと夫婦の間でも壮絶なやり取りが
あったとのこと。

 

それでも父子が監督と選手という
立場だった東海大相模高時代は

練習が休みの日は、貢さんは
すすんで家を空け、母子で過ごす
時間を尊重していた
とのこと。

 

原辰徳さんが大きな挫折なく
スターの階段を上っていけたのは

貢さんの厳しい指導だけではなく、
勝代さんがしっかりと愛情を注ぎ、
癒しの役割を果たしていたから
ではないでしょうか。

原辰徳の妹は?

原辰徳さんには5歳年下の妹さんが
いて、名前は詠美さん
といいます。


出典

詠美さんは原辰徳さんの東海大相模高
の後輩にあたる菅野隆志さんと結婚
して菅野姓に。

 

そして、生まれたのが菅野智之さん。

今や巨人の大エースとして叔父に
あたる原辰徳監督のの元でプレー
しています。

 

原辰徳さんは昔から妹の詠美さんを
をとてもかわいがっていたようです。

 

今から40年ほど前、甲子園で活躍した
原辰徳さんに女学生の人気が集中して
いたころ、

詠美さんは少女雑誌のプチセブンの
インタビューを受けていましたが。

 

その頃の原辰徳さんは野球漬けなので、
お小遣いはほとんど使う機会がなく、
たまると詠美さんに渡していた
とのこと。

こんなお兄さんがいて
うらやましい!

 

原辰徳さんは私生活でもいろいろ
あったようですが

これは小さな頃から野球一直線で
「思い込んだら…」という面が
影響しているのかもしれません。

 

支えてくれる家族を大切にして
いただき、今後の野球人生も全う
してもらいたいです。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

ABOUT ME
テツヤ
テツヤといいます。 北海道在住のライターです。 珠算の有段者というのが唯一の自慢。 でもお金の管理が苦手で 妻に「意味がない特技」と言われてます…。