ボクシング

片岡鶴太郎の若い頃は?ものまねでブレイク!元祖おでん芸人?今現在は?

片岡鶴太郎の性格はストイック?ボクシングや画家も?春一番を破門で確執が?
からの続き。

 

俳優、タレントとして活動する
片岡鶴太郎さんは、

画家、書家など多方面でも才能を
発揮していますが。

世に知られるきっかけとなったのは、
ものまね芸人で人気を博したことから
でした。

 

1980年代に放送された伝説の
お笑い番組
「オレたちひょうきん族」に
ビートたけしさん、
明石家さんまさんら後の大御所
たちと出演。

 

具志堅用高さんや坂上二郎さん、
近藤真彦さんなどのものまねが
世にウケまくったほか、

体を張ったリアクション芸人の
はしりとも言われています。

 

今回は片岡鶴太郎さんが
お笑い芸人だった若い頃を
振り返ってみました。

片岡鶴太郎のプロフィール

片岡鶴太郎さんのプロフィールを
簡単にまとめました。


出典

片岡鶴太郎プロフィール

【生年月日】
1954年12月21日

【本名】荻野繁雄

【出身地】東京都西日暮里

【学歴】都立竹台高

【身長】163センチ

【血液型】O

【受賞歴(俳優)】
日本アカデミー賞
最優秀助演男優賞
(1989年、映画「異人たちとの夏」)

【受賞歴(画家)】
産経新聞社賞(2007年、作品「骨」)

【受賞歴(書家)】
手島右卿賞(2015年、作品「夜」)

【資格】
ボクシングプロライセンス

多才で知られる片岡鶴太郎さんですが
もともとはお笑い芸人。

 

ブレークのきっかけは1980年代に
フジテレビ系で放送されていた
お笑いバラエティー
「オレたちひょうきん族」の出演でした。

 

ビートたけしさん、明石家さんまさん
島田紳助さん、山田邦子さんら
後のお笑いスターを多数輩出した
伝説の番組。

 

片岡鶴太郎さんもその中に交じり、
ものまねとリアクション芸で
一世を風靡
します。

 

ただ、その後は俳優に重きを置く生活となり、
ボクシングでプロライセンスも取得。

 

また、画家、書家としても、
それぞれの世界で認められる存在と
なっていきます。

 

うらやましいほどの才能にあふれた
片岡鶴太郎さんですが。

お笑い芸人のころは今でいうイジられ
キャラでもあったので。

当時を知る人たちは片岡鶴太郎さんが
多方面で活躍の場を広げていく姿を
驚きの目で見ていたはずです。
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片岡鶴太郎の若い頃は?

片岡鶴太郎さんはお父さんが寄席好き、
母が芝居好きだった影響を受けていた
ようで。

子どものころから
「芸人になりたい」
と思っていたそうです。

 

父親に寄席に連れていかれ、覚えた
落語やものまねを友達に披露していた
そうですが。

10歳の時にはフジテレビ系で
放送されていた「しろうと寄席」
という一般参加型お笑い番組の
オーディションに合格。

 

テレビ出演を果たしていますが、
この時のADが後に
「オレたちひょうきん族」の
プロデューサーとなる横澤彪氏
でした。

 

高校を卒業後は声帯模写の
片岡鶴八さんに弟子入り。

 

ものまねを軸としたお笑い芸人として
一人立ちし、寄席やテレビ出演を
果たすようになりますが。

横澤彪氏との再会を機に、
「オレたちひょうきん族」に
出演すると運気は大きく上昇。

 

ものまね芸人として一時代を築く
ことになります。

片岡鶴太郎はものまねとおでん芸?

お笑い芸人だったころの
片岡鶴太郎さんは斬新なものまねが
印象的でした。

 

ボクシングの元世界王者、
具志堅用高さんの代名詞
ともいえる「ちょっちゅね」

片岡鶴太郎さんが、具志堅用高さんを
まねた時に発していたセリフですし。

 

コント55号で萩本欽一さんの相棒
だった坂上二郎さんによるギャグ
「飛びます、飛びます」を世に浸透
させたのも片岡鶴太郎さんでした。

 

そして片岡鶴太郎さんといえば
忘れてはならないのが
リアクション芸。

 

「オレたちひょうきん族」のコントで
熱いおでんを口に放り込まれ
「アッツー!」とのたうちまわる
様子はお茶の間の爆笑を呼びます。

 

片岡鶴太郎さんによると
これはビートたけしさんと
やっていたコントのアドリブ
から始まったそうで。

 

セットのおでんがグツグツと
煮えているのに気づいた
ビートたけしさんが、

突然「おでん好きだろ」と言い出し、
無理やり食べさせられたのが
きっかけだったとか。

今、リアクション芸といえば、
熱湯風呂などでおなじみとなった
ダチョウ倶楽部が有名ですが。

 

それ以前から体を張って笑いを
とっていた片岡鶴太郎さんは、
リアクション芸人の元祖
言えるかもしれません。
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片岡鶴太郎の現在は?

「オレたちひょうきん族」で
人気を博した片岡鶴太郎さんは

日本テレビ系で
「鶴ちゃんのプッツン5」という
タイトルの冠番組を持つなど、
お笑いの世界で大成功を収めます。

 

ちなみに当時、
キレることを意味する「プッツン」
という言葉がよく使われていましたが、
これを流行させたのも片岡鶴太郎さん。

 

ただ、多忙の中、本人は限界を
感じていたそうです。

 

ビートたけしさん、
明石家さんまさん、島田紳助さん、
山田邦子さんらの才能に
触れる生活の中で。

「仕事の天井も見えてしまった
気がしました。
まだ2~3年は仕事がある。
けれど、このまま現状維持をして
いたら、きっと自分には将来がない」

 

俳優への転身を図ると、
肉体改造の一環で取り組んだ
ボクシングではプロライセンスを
取得。

 

その後は現在は画業や書家としても
活動していますが、

いろいろな世界に手を染めることに
なったのも、
人生の節目で目標を失った虚無感から
駆り立てられたものだったようです。

 

それでも、取り組んだすべてのことで
結果を出している印象のある
片岡鶴太郎さん。

 

やはり、センスや物事に打ち込む
エネルギーは常人以上のものを持って
いるのではないでしょうか。

さいごに

「オレたちひょうきん族」の
出演以降、お笑い芸人としての
片岡鶴太郎さんの人気は本当に
すさまじいものがありましたが。

 

当時、所属の太田プロからは
給料を手渡しでもらっていて、

百貨店の手提げの紙袋に相当な額の
札束が入っていた時があり。

 

自分で持って帰るのが怖いので、
マネージャーに家まで届けて
もらうように頼むと。

仕事が終わって片岡鶴太郎さんが
家に帰ると、子供が玄関で札束を
おもちゃに遊んでいた、
という夢のようなエピソードもあります。

 

現在は幅広く活躍している片岡鶴太郎
さんですが。

当時のファンたちはまた、お笑い芸人
としての片岡鶴太郎さんの姿を見たい
人も多いのではないでしょうか。

 

今の片岡鶴太郎さんの活動スタイル
からすると難しいのかもしれませんが。

 

「オレたちひょうきん族」で
見せていた伝説ともいえる
ビートたけしさんらとの絡みを、

もう一度、再現してもらう機会は
ないのでしょうかね。

 

片岡鶴太郎の嫁との離婚理由は?不倫人数も凄い?息子も多才!?
に続く。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

ABOUT ME
テツヤ
テツヤといいます。 北海道在住のライターです。 珠算の有段者というのが唯一の自慢。 でもお金の管理が苦手で 妻に「意味がない特技」と言われてます…。