相撲

荒磯親方(稀勢の里)の父親の結婚して嫁にする彼女の条件が古い?荒磯部屋復活はいつ?

2019年1月16日、横綱の稀勢の里が
引退会見を行いました。

 

出世は遅いが絶対に八百相撲に無縁
の「ガチンコ相撲」が代名詞、

愛称「ハギセン」こと稀勢の里寛
さんです。

 

横綱になって休場するまで15年間で
休んだのは、怪我による1日だけ
という超真面目力士でした。

 

大粒の涙して
「17年間の土俵人生に
一片の悔いもありません」。

引退後”荒磯”の名跡を継ぎ、
田子の浦部屋の付き親方として
活動し

2019年9月28日、両国国技館で
10000人の観衆の前で断髪式が
行われました。

 

そこには歌手の細川たかしさんや
野球の元監督の中畑清さんなど
300人以上の有名人が集いました。

 

今回は元稀勢の里荒磯親方について
調べてみたいと思います。

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荒磯親方(稀勢の里)の父親の出した結婚して嫁にする彼女の条件が古い?

荒磯親方の父親の萩原貞彦さん
元アマチュアボクサーで、
その後仕事を転々と変えています。

 

バス会社の社員を皮切りに脱サラ
して会社(IT関係の仕事)の経営者
になったがうまく行かず、

再び会社員(職種不明)に戻り、
そこで定年を迎えたようです。

 

荒磯親方(稀勢の里)は貞彦さんが
38歳で恵まれた男の子で、
ずいぶん可愛かったようです。

 

成長するにつれ荒磯親方(稀勢の里)
もボクサーだった父親を尊敬し、

中学2年生のころには180cm、
100kgの堂々とした体格になって
おり自慢の息子でした。

 

スポーツマンの父親は野球や相撲など
を積極的に練習させ、

一層丈夫な身体作りのため清涼飲料
水やスナック菓子は一切禁止。

 

愛情たっぷりのお母さんの手料理で
育てられました。

横綱稀勢の里の原点はここにあった
のです!

 

定年退職した両親の生活は決して
楽なものではなく、荒磯親方(稀勢の里)
は多くはない場所手当を生活資金のため
仕送りしていました。

 

そして大関に昇進すると家を
プレゼント
したのです(涙)!

 

ちなみに
父親の息子に出した嫁の条件は、

”自己主張しない女”
”夫から3歩下がって歩く女”にすべし

と助言を与えていたようで。

 

その古風さは今の流れに少々逆行して
いるように思えるのですが・・・。

荒磯親方(稀勢の里)の結婚、嫁取り

荒磯親方(稀勢の里)は中学の卒業文集
「努力は天才に勝ちます」と書いた
通り、見事に横綱を勝ち取りましたが

父親の背中を見て育ったのか若い割
には古風なところがあります。

「キセノン」の愛称で女性から熱い
人気を受けながらバラエティー番組に
出ないアスリートとして有名です。

 

結婚も弟弟子の高安さんと歌手の
”杜このみ”さんとの婚約に先を越さ
れています。


出典                       

荒磯親方(稀勢の里)は奥さんがいない
ので、断髪式でも式後の身づくろいは
友人の小野川親方(元北太樹)が代理
でしたほどで、

親方業にはお女将さんの存在は欠かせ
ないのです。

 

綺麗すぎるお女将さんとして評判の
元大関・琴奨菊の琴美夫人が理想の
お女将さん像のようです。

 

ただちゃんこ番は調理士に任すという
考えを持っていますので、
結婚を急いでいないのかもしれません。

 

藤島親方(元大関・武双山)も
お女将さんなしで多くの弟子を育て
います。

 

荒磯親方(稀勢の里)が今まで結婚
せず、またバラエティー番組にも
出なかったのは

相撲に集中したかったのもあります
から、引退した現在は父親のチェック
をクリアして、

お眼鏡にかなう女性を見つけられる
といいですね。

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荒磯親方(稀勢の里)に彼女はいるの?

”ガチンコ横綱”荒磯親方(稀勢の里)は
堅物のイメージが強いですが、

結構女遊びもしていたようで22歳
のころ個室には風俗店の名刺が20枚
くらい散らばっていたり、

兄弟子とそんな店に連れ立って行く
こともあった他、

アダルトDVDが数十枚無造作に積ま
れていたなどの話も聞きます。

 

さらに調べてみますと、大関昇進の
時まで付き合っていた中学時代の
同級生の女性がいましたが、

横綱昇進まで交際を止めるように
との父親の忠告に従って別れたようです。

 

別れて7年、彼女も33歳です。

さあどうなったのでしょうね?

 

荒磯親方(稀勢の里)彼女といえば、
モデルでタレントの市川沙椰さん
との噂のエピソードが面白いですね。

市川沙椰さんの相撲好きは有名で、
自分のテレビ番組「ユアタイム」で
”市川部屋”というコーナーを設けて

相撲のあれこれを紹介するほどの
熱の入れようです。

 

荒磯親方(稀勢の里)は初優勝した時
にこのコーナーに生出演。

市川沙椰さんがポーっとして、
まるでお見合いのような雰囲気だった
とかで、二人は相思相愛の中という
デマの噂が広まったそうです。

 

荒磯親方(稀勢の里)の好みは料理
上手で笑顔の可愛い女性だそう
ですが、

目下の荒磯親方(稀勢の里)は、
荒磯部屋の復活と弟子の育成にかける
情熱が彼女を探す熱意を上回って
いるようです。

稀勢の里、荒磯部屋の復活

荒磯部屋は横綱・照国が1953年1月
に引退後年寄・荒磯に、師匠の

伊勢ケ浜から部屋と弟子を引継ぎ
創設された相撲部屋です。

 

荒磯親方が定年退職後、伊勢ケ浜部屋
と改称され、
荒磯は名跡だけが残っていたのを
1993年に小結・二子岳が部屋を
引継ぎましたが、関取は出ず2008年
に閉鎖。

 

残った名跡を2009年1月に
稀勢の里さんが買い

引退まで10年以上も持ち続けていま
した。

 

22歳の若さで年寄の名跡を継いだと
いうことは、
二枚看板で将来の備えをしていた
わけですね。

 

相撲協会には最低1年間は部屋付き
親方になるという規定があり、

荒磯親方(稀勢の里)も田子の浦部屋の
付き親方として修行中です。

その間、早稲田大学大学院スポーツ
科学研究科に合格。

平田竹夫教授からスポーツマネジ
メントの教えを受けています。

 

伝統格技に新しい風を入れる狙いが
あるのでしょう。

 

角界の伝統的な日課は、稽古は早朝
から昼前までで、風呂に入って、

ちゃんこを食べて、昼寝して夕方
までは自由時間というものです。

 

荒磯親方(稀勢の里)は自分を育てて
くれた鳴門親方を尊敬しながらも、
猛稽古には反発もあったようです。

 

新しい稽古法は午前と午後の2部制
にし、空き時間を作らない。

 

力士が料理していたちゃんこは調理師
に任せ、力士には体力作りに専念
させるという構想で、
実現すると角界は衝撃を受けるで
しょうね!

 

一番ショックを受けるのは部屋を
仕切っていたお女将さん
たちで
しょう!


出典

改革の第一弾は12月23日に両国
国技館で行われる
稀勢の里ウインターカップ」です。

 

小・中・大学生はわんぱく相撲や
大学選手権で国技館で相撲を取れ
ますが、
高校生は国体か総体で優勝し、
全日本選手権に出た選手以外は国技館
の土俵を知ることはできません。

 

そこで対象を高校1年2年生とし、
50チーム、250人で個人戦と団体戦
を行います。

 

外国人留学生は1チームに1人まで。

”待った”を一回認め、立ち合いの
駆引きをなくす試みをしているのが
荒磯親方流です。

 

今は大相撲には学士力士が多く流れ
込んでいますが、
もっと若い時代に国技館を経験し、
大相撲に興味を持ってほしいのですね。

 

荒磯親方(稀勢の里)は田子の浦部屋
から独立の準備を進め、

まず部屋作りの土地を物色している
ようで、候補地には青年親方らしく
両国国技館に近い”秋葉原”が候補地
というのがもっぱらの噂。

荒磯部屋の復活は遅くも2021年頃
には実現しているはずです。

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稀勢の里のプロフィール、経歴は?

荒磯親方(稀勢の里)は本名
・萩原寛。

1986年7月3日に兵庫県芦屋市に
生まれ、2歳の時一家は茨城県龍ヶ崎
市に移住し、
中学2年で牛久市に引越しました。

 

身体のデカイ覚さんは父親に連れられ
て相撲の”鳴門部屋”を訪問し鳴門親方
(故人)の目に留まったようです。

 

中学校には相撲部がなく野球部に
入ると、県内大会では有名選手に
なったようで、

楽天イーグルスのエース美馬投手と
対戦の経験がある
のが自慢です。

 

2002年14歳の少年は、中学卒業と
同時に大相撲”鳴門部屋”に入門。

 

稽古をしながら夜間高校で勉強の
毎日を過ごしました。

 

本名の萩原で土俵に上がり、2004年
1月場所17歳6カ月で幕下優勝。

同年5月場所に19.9歳で関取の十両に。

 

これは貴花田さん(元横綱・貴乃花)に
次ぐ若年記録です。

 

同年11月場所に待望の幕内に昇進し、
しこ名も稀勢の里に変え期待の関取
になったのです。

 

しかしその前にはモンゴル力士の壁
が待ち構えていました。

 

角界は朝青龍さんや白鵬さんを筆頭に
モンゴル力士の強さが圧倒的で、

特に25回の優勝回数を誇る朝青龍
さんには歯が立ちませんでした。

 

暴行事件により引退したため勢力図
が変わるかと思われたところ、

白鵬さんという新怪物が現れ稀勢の里
さんなど日本人力士は優勝争いには
縁遠い存在でした。

 

2010年は白鵬さんの一人舞台で白星
を重ね、
大鵬の69連勝を破る勢いでしたが、
11月場所で稀勢の里さんが得意の
左押っつけで64連勝をストップ。


出典

2012年の1月場所で念願の大関に
昇進。

 

その後も力はあるのに肝心の場面で
力を出せない状態が続きましたが、

2017年初土俵から89場所目の
遅すぎる初優勝と同時に待望の72代
日本人横綱が誕生。

 

貴乃花さんが引退してから実に16年
ぶりの快挙(怪挙?)です。

 

しかし直後の2017年3月の大阪場所
の13日目、横綱・日馬富士さんとの
対戦で左肩と胸部を損傷し病院に救急
搬送。

 

誰もが休場と思っていましたが、
そこはガチンコ横綱のこと。

休まずに土俵に上がり、千秋楽には
大関・照ノ富士さんを優勝決定戦で
破り、横綱として初優勝を飾ります。

 

ただ相撲人生はその一戦が致命傷と
なり、8場所連続休場など不名誉な
記録を残し

2019年1月16日32歳の若さで引退
することになったのです。

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さいごに

大相撲は今では女性や外国人にまで
支えられ過去にないほどの
人気スポーツになっていますが、
暴力事件など多くの問題があります。

 

その中でも力士の怪我の多さが
問題視されています。

 

その中心が”でかくなり過ぎ”という
ものです。

 

事実力士の平均体重は1918年には
104Kgだったものが、
100年後の2018年には164kg。

 

実に60kgの体重増になっています。

 

白鵬さんは153kg、優勝回数43回に
対して荒磯親方(稀勢の里)は
178kg、優勝回数2回。

 

二人の対戦成績は白鵬さんの43勝
13敗です。

 

この両力士の対戦成績を見ても相撲
の強弱はデカイ・体重だけで決まる
ものではないと分かりますね。

 

相撲の決まり手も2017年までの
1位は”寄り切り”だったのが、
今は”押し出し”に変わっています。

 

これは技の四つ相撲から体力の優位性
で勝ちを取ろうとする相撲の傾向を
現しています。

これからの荒磯親方(稀勢の里)の
弟子の育成方針は、
稽古の二部制(午前と午後)、
ちゃんこ番の廃止と調理士への委託。

 

その背景には親方の怪我による引退
があります。

 

怪我を忍て獲得したあの優勝賜杯を
周囲は”よく頑張った”と賞賛して
くれますが、本人にはあの時休んで
いればという悔いがあります。

 

さらにアスリートの中でも相撲選手
の平均寿命が56.2歳と最も短い
というデータがあり、
その改善も必要と考えているのです。

 

青年親方・荒磯親方(稀勢の里)は
合理的な練習方法(猛稽古だけが稽古
じゃない)による怪我をしない
身体作りと

バランスの取れた食事によるデカイ
だけの身体とサヨナラをしたいようです。

 

荒磯親方(稀勢の里)が、荒磯部屋の
復活と強い日本人力士の育成、

そして笑顔のかわいい女性とめぐり
会えた時こそ、土俵の外でも横綱に
なった言えるでしょう。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。