バレーボール

益子直美の生い立ちや若い頃は?心房細動?現在は?

益子直美の元カレは安東弘樹?旦那と子供は?不妊治療?
からの続き。

元バレーボール選手の益子直美さんは
現役時代、「下町のマコちゃん」の
愛称で、美人アスリートととして
親しまれていましたが。

一時は
「バレーボールが大嫌い」という
状況に陥ったのだとか。

 

その経験を踏まえた現在の活動は
スポーツ界に大きな注目を集めて
います。

 

今回は益子直美さんの生い立ちや
現役時代のこと、また病歴や
現在の活動についてまとめてみました。

益子直美の生い立ちは?

益子直美さんは
1966年5月20日生まれで、
出身は東京都葛飾区です。

 

小さな頃から体格の良さが目立ち、
5歳の時には身長が2歳の年上の
お姉さんを超えていたのだとか。

 

父の邦男さんが2017年10月に
84歳で死去した際に。

益子直美さんはブログで思い出を
つづっていますが。

 

家庭は
「どちらかというと裕福ではなく、
質素にくらしていた」

邦男さんは工場勤めで、鉄の溶接が
できるそうで。

姉妹のために鉄の2段ベッドや。

庭に鉄棒、そして鉄のバトント
ワリングもつくってくれたとのことで。

 

そのバトントワリングは重すぎて、
益子直美さんの腕があざだらけに
なってしまったそうですが。

 

益子直美さんがアスリートの道を
進むことになったのは。邦男さんが
子供のために体を動かす器具を
つくっていたのも関係がありそうですね。


出典

右が邦男さんで、真ん中が
お母さまのようです。

 

そして、益子直美さんは人気アニメの
「アタックNo.1」に憧れ、中学から
バレーボールに取り組みます。

 

中学3年時は東京都選抜に選ばれ、
片鱗を見せ始めると。
共栄学園高進学後に、才能が一気に
開花することとなりました。

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益子直美の若い頃は?

益子直美さんの存在が全国に
知られるようになったのは1984年の
春高バレーです。

 

共栄学園の2年生エースとして
チームは準優勝。

 

当時は珍しかったジャンピングサーブ
とバックアタックを武器に相手を
ほんろう。

 

実力とともにその美少女ぶりも
注目を集め。

「下町のマコちゃん」の愛称でも
親しまれるようになりました。


出典

高校3年生の時には日本代表に選出
されます。

 

卒業後は実業団のイトーヨーカドー
でプレー。

 

その頃、社会人の女子バレーボールは
日立製作所の黄金期でそちらからも
誘いを受けたとのことですが。

レギュラー争いが厳しそうだったのと、
その常勝チームを破ることを
モチベーションとするために
イトーヨーカドーを選んだそうです。

 

日本代表としてはオリンピック出場を
果たせませんでしたが。

1990年には念願かなって日立を破り、
日本リーグ初優勝を果たします。

 

そして、益子直美さんは1992年に、
25歳の若さで現役引退を決断。

 

これについては後の項目でも
触れますが。

益子直美さんは選手時代、常に
ストレスを抱えていたそうで。

 

引退も「逃げるように」のものだった
と、後のインタビューで語っています。

 

現役を離れた後はイトーヨーカドーの
アシスタントコーチを務めた後に
いましたが。

 

その知名度や美貌にテレビ局から
オファーが舞い込むようになり
1993年に退社。

タレントに転身します。

 

主にスポーツキャスターとして活躍
しますが。

NHKの人気番組で「トップランナー」
でミュージシャンの大江千里さんと
ともに司会を務めていたのを記憶
している人も多いでしょうし。

その活動ぶりは現在に至るまで多岐に
渡っています。

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益子直美は心房細動に?

益子直美さんは50歳の時に
心房細動が見つかっています。

 

その頃、心拍数がすぐ上がることを
気にはしていたそうですが。

「老化現象?」
「若い頃に体を酷使しすぎたツケ?」
などと思い込むようにしていたのが。

息苦しさと意識が遠のく大きな
発作があり。病院に駆け込むと
心房細動という診断を受けます。

 

心房細動は放置すると血栓ができ
やすくなり、心筋梗塞や脳梗塞の
リスクが高まることから。

益子直美さんはカテーテル手術
受けます。


出典

病についてはブログなどで公表して
きましたが。

それまで自分の健康状態を過信して
いたことや。

父の邦男さんも脳梗塞と心房細動を
患ったということもあり。

多くの人が未然に防ぐきっかけに
なればという思いがあるようです。

益子直美の現在は?

近年、益子直美さんが注目を集めて
いるのが
「監督が怒ってはいけない大会」
の主宰です。


出典

益子直美さんは選手時代、指導者から
厳しくされていたことから。

バレーボールで身を立てていながらも
「バレーボールが嫌いになっていた」

常に監督の目を気にしてプレーするのが
ストレスとなり。腹痛や円形脱毛症は
日常的だったそうです。

 

社会人でプレーしたイトーヨーカドー
は、選手の自主性を重んじるチーム
でしたが。

指導者から言われた通りにすることを
学生時代は当たり前にしていたことから。

自主的に動くことができず、社会人に
なっても成長していない自分に戸惑って
しまった経験もあるそうです。

 

そして、主宰したのが
2015年に初開催された小学生大会
「監督が怒ってはいけない大会」

子どもたちが心からスポーツを
楽しめる環境づくりと。

体罰やパワハラ撲滅に向けた取り組み
として大きな話題となりました。

 

その名の通り、
「監督は怒ってはいけない」という
独自ルールでの開催。

 

子どもたちには
「監督の目を気にせず思い切って
チャレンジできた」
「監督に頼らず自分たちで考えて
プレーした」
などと好評で。

 

指導者からも、いわゆる昭和型の
指導から抜け出せないという悩みを
相談されることもあり。

「監督が怒ってはいけない、という
否定的な大会名ですが、変わりたい
監督さんたちに寄り添ってサポートしたい」
と益子直美さんは言います。

 

現役引退後はタレント業でも大活躍を
続けてきましたが。

バレーボール界に貢献している
「下町のマコちゃん」は
やはりとりわけ輝いて見えます。

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さいごに

益子直美さんは心房細動をきっかけに
それまでの自分を振り返り。

ストレスについての知識を深める
ようになってから。

「無理して頑張る人から、肩の力が
抜けた人に変わってきている」
と言います。

 

それを実感したのが、
夫で元自転車ロードレーサーの
山本雅道さんから電動アシスト付きの
マウンテンバイクをプレゼントされた時
だそうで。

以前の益子直美さんなら
「元アスリートなのに、電動に頼るなん
て邪道だわ」
と思うところが、頼るところは頼ろうと
している自分に気づき。

「これ、すごい進歩です」


出典

人から頼まれると無理をしてでも
引き受けてしまうタイプだったのも、
近頃は処理に困ったら、ほかの人を紹介
するようにもなったそうで。

 

益子直美さんは頑張りすぎる性格
だったのでしょうが。

今はしっかりと自分をコントロール
できているようですし。

 

これからも、タレントや指導者
として、ますます充実の日々を送られて
いくのではないかと思います。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

ABOUT ME
テツヤ
テツヤといいます。 北海道在住のライターです。 珠算の有段者というのが唯一の自慢。 でもお金の管理が苦手で 妻に「意味がない特技」と言われてます…。