野球

門田博光の現在は病気で透析?ホームランしか狙わない理由は?脱臼癖?

元プロ野球選手の門田博光さんは
現役時代にパ・リーグを代表する
スラッガーとして活躍しました。

 

通算567本の本塁打は王貞治さん、
野村克也さんに次ぐ歴代3位の
記録です。

 

引退後は野球解説者などを
務めていましたが、

NPBで監督やコーチを務める
ことはなく、2020年には72歳の
誕生日を迎えている門田博光さん。

 

今はどのように過ごされているのか。
病気の情報もありますので、
そのあたりを調べてみます。
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門田博光のプロフィールと経歴

門田博光さんのプロフィールです。

門田博光プロフィール

【生年月日】
1948年2月26日

【身長】170センチ

【体重】81キロ

【出身地】山口県(育ちは奈良県)

【学歴】天理高

【プロ野球選手歴】
南海(1970年~88年)
―オリックス(89、90年)―
ダイエー(91、92年)

【ポジション】外野手

【投打】左投げ左打ち

【主な獲得タイトル】
本塁打王(81、83、88年)
打点王(71、88年)
最高出塁率(81、87、88年)
MVP(88年)
正力賞(88年)

【プロ通算成績】
2571試合出場
打率.289(通算安打2566)
567本塁打
1678打点

門田博光さんは高校時代、名門の
天理で4番センターとして甲子園に
出場。

 

社会人のクラレ岡山に進んだ後も
都市対抗野球大会に出場するなどで、

名の知られる存在となり、1969年
ドラフトで南海ホークスから
2位指名を受けてプロ入りしました。

 

身長は170センチと小柄でしたが、
外国人に負けないパワーヒッターを
目指し、
血のにじむような努力を重ね、
上記の通り、輝かしい実績を残します。


出典

40歳となった1988年には史上
最年長のMVPを獲得。

 

門田博光さんは「不惑の大砲」
呼ばれていましたが、

その「不惑」は流行語にも
なっています。

 

1992年シーズンを最後に引退。

功績を称えられ2006年には
栄えある野球殿堂入りも果たしました。

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門田博光の現在は?病気で透析?

門田博光さんは現在、兵庫県内の
山間部で一人暮らし
をしている
そうです。

 

門田博光さんは奥様との間に
一男一女がいて。

1989年に南海がダイエーに
チーム譲渡し、
福岡に本拠地が移る際は、子供の
事情で単身赴任を避けるため。

オリックスに移籍して関西に
残った経緯もあります。

 

そのお子さんたちも独立したの
でしょうか。

 

ただ、奥様の情報もないのは
気になるところ。

病気などされてなければ
いいのですけどね。


出典

門田博光さんは引退後に健康を害して
しまい、糖尿病が持病となって、
現在は腎不全で透析も受けている
とのことで。

 

2005年にも小脳梗塞で倒れており、
懸命のリハビリで日常生活は取り
戻しましたが、

右足などに不自由を抱えている
ようです。

 

現役時代はシーズンオフにしか酒を
飲まず、節制を重ねていましたが。

引退後はその反動か、朝まで飲み
明かす生活を続けていて

「そのツケが出たんだと思います」

と門田博光さんは言います。

 

現役時代はキャンプ期間中に3食すべて
ゆで卵というダイエット法を敢行。

 

8日間で8キロ体重を落としたことが
話題となり、ゆで卵ダイエットを
ブームにした
こともある門田博光さん。

 

なんとか健康を取り戻していただき
たいところです。

門田博光はホームランしか狙わない?

門田博光さんといえばパワー
ヒッターのイメージが強すぎますが。

プロ入り当初は俊足巧打の選手で、
守備も相当なレベルだったそうです。

 

当時の監督、野村克也さんも
門田博光さんをホームランバッター
ではなく、器用に動ける2番打者に
育てようとしていたのだとか。

 

それでも、門田博光さんの持ち味は
フルスイング。

 

バントも苦手だったそうで、
主に3番を任され、球界を代表する
スラッガーに成長していきます。

 

そして1979年の春季キャンプで
右アキレス腱を断裂するアクシデント
に襲われると。

「本塁打ならば(走塁で)足に
負担が
かからない」

と全打席で一発を狙うようになり。

 

翌80年には自己最多の41本塁打を
マーク。

そして、81年には44本塁打で初の
ホームラン王に輝きます。


出典

野球ではよく
「ヒットの延長がホームラン」
などと言いますが。

門田博光さんは
「ホームランの当たり損ねが
ヒット」

という考え方。

 

「すべての球場で場外ホームランを
打つ」
と挑んだこともあったといいます
から。

門田博光さんはとにかくホームランに
こだわり続けていたようです。

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門田博光の脱臼癖とは

門田博光さんがオリックスに在籍
していた1989年のことですが。

試合でホームランを打って生還した
際、次打者の巨漢、ブーマー・
ウェルズ選手のハイタッチに応じると。

その衝撃で門田博光さんは、なんと
右肩を脱臼してしまいます。


出典

そのシーズンのオリックスは親会社が
阪急から変わって1年目の歴史的な
シーズン。

 

脱臼事件があったのはペナント争いが
佳境の9月25日でした。

 

オリックスは近鉄、西武と激しい
優勝争いを繰り広げていた最中。

 

門田博光さんにとっても南海から
移籍して1年目のシーズンで。

主力打者として3割、30本塁打を
マークし、チームに貢献していまし
たが。

肝心なところで門田博光さんが戦列を
離れたことが大きなダメージとなり。

オリックスは球団譲渡初年度で優勝
という快挙を逃してしまいました。

 

門田博光さんは南海入団1年目の時、
帰塁した際に右肩を脱臼。

 

それ以来、脱臼癖がついてしまった
ようで、、

1984年4月の日本ハム戦でも
ハイタッチで右肩を痛めたことが
あります。

 

それ以来、南海では強いタッチは
禁止されていましたが。

オリックスの選手たちはそうした
情報を知らなかったと思われ。

ブーマー選手は結果的にチームメート
をケガさせる形となり、ひどく落ち
込んでいたのだとか。

 

現在もこの脱臼シーンはプロ野球で
起こった珍プレーの定番のように
メディアでよく紹介されています。

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さいごに

門田博光さんは現役を引退して
以降、監督やコーチとして声が
かかったことはありません。

 

門田博光さんの南海時代に
監督だった野村克也さんは

門田博光さん、江夏豊さん、
江本孟紀さんの扱いに手を焼いた
として「3悪人」と呼んでいま
したが。

 

門田博光さん自身も

「ごんたくれ(困った人、乱暴者)
だったから。オレを使いこなせる上司
がおらんかったということやろ」

と言います。

 

それでもインタビューでは

「今の時代、みんなええ体しとるし、
パワーと技術を持ったヤツも
ようけおるのに…もったいないわ」

と話すなど。

素質を生かしきれていない選手たちを
見ると、指導欲は高まってくるよう
ですし。

プロ野球歴代3位というホームラン
打者の技術が、語られる機会が
もっとあればと感じてしまいます。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

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テツヤ
テツヤ
テツヤといいます。 北海道在住のライターです。 珠算の有段者というのが唯一の自慢。 でもお金の管理が苦手で 妻に「意味がない特技」と言われてます…。