野球

【若大将】原辰徳の若い頃、アイスが当たらない?チャンスに弱く生涯成績は?

巨人の原辰徳監督の若い頃は
たくさんの女学生から熱視線を浴び、
その人気はアイドル並みでした。

 

テレビCMにも多数出演し、アイスの
キャラクターにもなっています。

 

選手としても巨人の4番打者として、
輝かしい数字を残していますが、

どうにもプレーヤーとしての
原辰徳さんはファンから軽く見られる
ことが少なくなかったようで。

 

「チャンスに弱い」が代名詞のような
言われ方もしていた原辰徳さんの
選手時代を振り返ってみます。

原辰徳の若い頃は若大将?

東海大相模高時代に甲子園のスター
選手として活躍した原辰徳さんは

東海大を経て1980年にドラフト
1位で巨人に入団しました。

背番号は8。

 

8番は「塀際の魔術師」と呼ばれた
人気プレーヤーで、

その後は日本ハム、ヤクルトの監督
も務めたことでも知られる
高田繁さんが付けていましたが。

 

1980年シーズンを最後に高田繁さん
が現役を退いたため、その番号を
原辰徳さんが引き継ぎました。

 

ドラフトを前に監督を退任した
長嶋茂雄さんは自身の永久欠番3を
「譲ってもいい」と言ったという
エピソードもあり、

当時、原辰徳さんに寄せられていた
期待の高さがうかがえます。

 

入団直後、原辰徳さんの応援歌は漫画
「エイトマン」のオープニングテーマ
に合わせてつくられていましたが、

これは背番号8にちなんでのもの
でしょう。


出典

また、原辰徳さんは「若大将」の
愛称で親しまれました。

 

若大将と言えば加山雄三さん主演の
シリーズ映画が思い浮かびますけど。

 

加山雄三さんが演じていたスポーツも
恋も全力投球という主人公像を、

原辰徳さんに重ねたのが由来と思われ
ますが。

 

原辰徳さんは巨人の監督に復帰した
2019年の新春、サンケイスポーツの
インタビューに
「若大将でいたい。やっぱり若いとか
青いというのは、いい言葉ですよ。
たとえ爺さんになってもね、
ハッハッハ」
と語っています。

 

それは「新米監督という立場で戦う」
という心構えからくるもののようで。

 

還暦を過ぎた原辰徳さんですが
今もエネルギッシュ。

「永遠の若大将」を目指している
ようですね。
スポンサードリンク

原くんアイスは当たらない?

知る人ぞ知る、というところ
でしょうか。

 

原辰徳さんは1980年代、アイスキャン
ディーのキャラクターになっています。

 

明治乳業が発売していたソーダ味の
「原くんアイス」で当たりが出ると
もう1本というクジ付き。


出典

ただ、次の項目で触れますが
原辰徳さんは現役時代、

「チャンスに弱い」
と評されることが多く。

 

子供のたちの間でも
「なかなか当たりが出ない
原くんアイス」
と揶揄されることもあったよう
ですが。

 

今でも、SNSやネットの質問
コーナーなどで
「原くんアイスとは?」
と昔を懐かしむ声で盛り上がって
いるのを見かけることがあります。

原辰徳は本当にチャンスに弱かった?

原辰徳さんは1995年に引退するまで
巨人の主力打者として活躍しました。

 

4番を務めた試合は1066。

 

打撃の神様と呼ばれた川上哲治さんの
1658試合、
ご存じONの長嶋茂雄さん(1460試合)
王貞治さん(1231試合)に次ぐ、巨人
史上4番目の数字です。

 

打撃成績については次の項目で触れ
ますが、文句なしに一流の数字を
残していますが。

「チャンスに弱い」
「巨人史上最低の4番」
などとファンに叩かれまくって
いたのを当時を知る人たちは
覚えているのではないでしょうか。


出典

確かに当時、原辰徳さんは
「チャンスにポップフライ」や

試合の大勢が決まった後の
「帳尻ホームラン」というのが
やけにクローズアップされていた
気がします。
スポンサードリンク

原辰徳がチャンスに弱いと言われる理由は?

原辰徳さんが入団する前の巨人は
常勝を極めており、

1965年から1973年まで9年連続で
日本シリーズを制覇。

 

ファンが求めるレベルも高く、巨人の
中心選手となった原辰徳さんは
「V9時代」を支えた大打者の「ON」
こと王貞治さん、長嶋茂雄さんと常に
比較される存在となります。

 

王貞治さんは言うまでもなく世界記録
となる868本塁打をマークした日本球界が
誇るホームラン王。

 

長嶋茂雄さんの勝負強さについては、
たくさんの伝説が残っていますが、

当時の主力だった高田繁さんも
「ここは打ってほしい、という場面で、
長嶋さんが凡退した記憶がない」
と語ったことがあるほど。

 

偉大なONの後継でしたから、比較
されて叩かれるのも宿命だったのかも
しれません。

原辰徳の生涯成績は?

4番打者としてのふがいなさを
叩かれていた原辰徳さんですが、

数々のタイトルを獲得するなど、
その実績は光り輝いています。

 

実働15年で出場試合は1697。

通算本塁打382は歴代22位。

打点1093、打率も.279と高いレベル
の数字を残しました。


出典

タイトルは入団初年度の1981年に
獲得した新人王に始まり、

1983年には打撃3冠のひとつの
打点王も獲得。

 

その年にはMVPにも選ばれて
います。

 

また、1980年代は勝利チームの
勝ち越し点となった打点を
「勝利打点」として、個人成績の
表彰項目となっていた時期があり。

原辰徳さんは1982、83年と2年連続で
その勝利打点王に輝いています。

 

決してチャンスに弱かった
わけではないのですけどね。

 

さらに、ベストナインは5回。

優れた守備力を表彰されるゴールデン
グラブ賞も2回獲得しています。

 

数字だけを見ても球史に残る名選手
であることは間違いないわけですから、

これで「最低の4番」と揶揄されて
いた理由は、やはりONの後継という
時代背景としか思えませんね。
スポンサードリンク

さいごに

2018年に原辰徳さんは野球殿堂入りを
果たしました。

出典

野球界の発展に貢献した人物の功績を
称えるもので、プロ野球では活躍した
選手を表彰する「プレーヤー部門」と

監督、コーチ、審判を称える
「エキスパート部門」がありますが。

原辰徳さんは「エキスパート部門」
での表彰。

 

選出方法は選出委員の投票で選ばれ
ますが、原辰徳さんは2010年の
「プレーヤー表彰」有資格最終年に
6票足りず選ばれなかったという
経緯があります。

 

実力はもちろん、人気面でも野球界を
支え続けていたのに、プレーヤー
としての原辰徳さんが軽く見られて
いることには疑問の声も上がったよう。

 

監督としても原辰徳さんはここまで
13シーズン中8回の優勝。

 

日本一も3回経験し、2009年の
WBC(ワールド・ベースボール・
クラシック)でも日本代表を
世界一に導きました。

 

野球殿堂入りで今度は文句なしの
「名将」と認められた原辰徳さん。

 

これからもその名声がさらに輝く
ような采配を期待しています。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

ABOUT ME
テツヤ
テツヤといいます。 北海道在住のライターです。 珠算の有段者というのが唯一の自慢。 でもお金の管理が苦手で 妻に「意味がない特技」と言われてます…。